「哀しみ」は、映画の重要なテーマのひとつですよね。映画には、多くの観客がすぐ共感できるような、感情的なキャラクターが登場します。俳優が描き演じる、混乱した感情の高まりや深い喪失感の経験に対して共感される観客は多いため、登場人物が経験する感情を理解できるのです。

このように、共感が得られることから哀しみをテーマに据えた映画は多く、そこでは「死別」が冒頭に描かれたりします。また、「哀しみ」を感覚的に捉えることに重点を置き、映画という形式を通じて、人生体験の哀しみを表現しようと試みる作品もあります。

そこで今回は、「真の哀しみ」とはどのようなものか、共感の美学によって哀しみを表現しようと試みている映画を5作品ご紹介したいと思います。

ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命(パブロ・ラライン監督、2016年)

この作品は、夫であるジョン・F・ケネディ(キャスパー・フィリップ損)が暗殺されてから数時間~数日後のジャッキー・ケネディ(ナタリー・ポートマン)の様子を、非常に主観的に描いています。

背景では、政治的な駆け引きが囁かれ、焦点がぼやける中、ナタリー・ポートマンの顔が手持ちカメラでクローズアップされ続けます。

モーヴァン(リン・ラムジー監督、2002年)

主人公モーヴァン(サマンサ・モートン)がパートナーの死を悲しんでいること、パートナーの自殺を隠して新しい生活を始めようとしていることは、他の登場人物に知られていないという設定。そのため、観客は主人公に親密さを感じます。この特権的な立場により、「観客である我々だけがモーヴァンの苦しみを見ることを許されている」という暗黙の了解が生まれるのです。

映画研究家のサラ・アート氏は、モートンの演技は無音に近い静寂さを追求しており、観客はそこに「特定化・個別化された存在の状態を示している無音」を感じると言います。記憶や感情を表すための音声はなく、リン・ラムジー監督はフラッシュバックを避け、解釈を観客にゆだねる一方で、明らかな解釈に抵抗するかのように美しい映像を採用しています。

ヴィタール(塚本信也監督、2004年)

博史は愛する涼子(塚本奈美)を事故で亡くし、記憶喪失の状態で目を覚まします。彼は次第に、事故と涼子の記憶に侵されていきます。その苦悩が次第に、博史と観客を包み込んでいきます。

この作品は、様々な「感情」に焦点を当てており、大きな不協和音と途切れ途切れの編集によって「触覚的な」視聴体験をもたらしています(映画理論家のローラ・マークス氏は、これを「嗅覚、触覚、味覚といった身体的記憶を誘発する機能である。」と表現しています)。

ババドック 暗闇の魔物(ジェニファー・ケント監督、2014年)

この作品は、喪失が身体にもたらす負担とその長期的な影響をうまく捉えた数少ない作品のひとつ。

登場人物がじっくり観察され、アメリア(エシー・デイヴィス)の目がだんだん落ちくぼみ、肌が青白くなり、現実離れしていく様子が描かれます。

「悲しみ」というトラウマが身体にもたらす影響を調査することで、「クリーチャー・フィーチャー(生き物の特徴を活かす)ホラー映画」として成功しています。

マンチェスター・バイ・ザ・シー(ケネス・ロナーガン監督、2016年)

この作品でケイシー・アフレックは、リー・チャンドラーというひどい悲劇から立ち直った男を演じ、アカデミー賞主演男優賞を獲得しています。

アフレックは、生きることだけに必死で、悲しみを乗り越える気力もなく、方法も分からないという役柄にふさわしく、控えめで感情を抑えた演技を見せています。

トーンに変化がなく、ほぼ全編にわたって静止ロングショットが使用されています。また、一部の例外を除いて記憶の無意識な質感を表すフラッシュバックの手法を用いず、これによって主人公の感情の停滞を表現しています。

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